Karte 1
私は父子家庭で育ちました。
諸事情あって、父の母親である祖母と一緒に暮らし、面倒をみてもらっておりました。
小学2年生の頃、転校し、その祖母と二人暮らしだったこともあります。
学校から帰ると、新聞の広告の裏が白紙の時代でしたから、それにその日習った書き取りのおさらいなどを一日として欠かさず、強制的にさせられました。
そんな私の育ての祖母の戒名には「院」がつく。
お坊さんが言っていらした。
「院というのは、生前、病院や美容院、学校などの人がたくさん集まるところで活躍された人にふさわしい戒名」
ま~、諸説あるし、たまたまじーさんが立派なものをおつけになられていたので、合わせたというのもあるし、お金さえ出せば位が高いのをくれるのでしょ?
『3桁』万円くらいだったと聞いた。
(?00万円などもあるみたいだが・・・。車買えるやん!ご先祖様を大事に思うのは良いことだとは思うが、「死んでる人間より生きている者を大事にすべきだ!」と常々私的には考えている。)
ごっついなっ!
私は死ぬ時そんなのいらないね。
だが、手前の話で恐縮であるが、おばあちゃんにはふさわしかったな。
確かに病院に縁があった。
学校にも縁があった。
私以外の孫は自宅に下宿させ、みんな立派に面倒をみた。(私だけが落ちこぼれなのである。)
もう他界したが、彼女の長男は私の父の兄にあたるのだが、彼が医大受験するのに勉強をしている時、睡魔に襲われ、こっくりこっくり舟を漕ぐのを防ぐため、首に紐をつけていたこともあったと伝え聞く。
説明しよう!
夜遅くまで勉強している叔父が眠くなり、頭がグラグラし始めると、祖母が手に持っている(のだったか、どこかにくくりつけていたのか詳細はわからないのだが)紐がぎゅっと締まる仕組みにより、生死をさまようがごとくの・・・現在はあるのかどうかはわからないが、巻尺みたいな犬のリードさながら・・・といったもので、寝てしまうのを防止するといった具合。
首ぐえーっ。
そんなスパルタ教育?の祖母だが、亡くなるときもみんなが来やすいような日に亡くなった。(私は偶然だと思うのだが、親戚中、皆、彼女のことを尊敬していたので、そういう風に思ったらしい。)
私にとっては「院」という場所がけっこう苦手であるが、逃げ回っても逃げ回ってもついてまわるもの。
まるで他人事なのだが、私の家族が病院に勤務していることもそうだ。
私は身体のソセイが弱く、頑張ってジムに行ってもなかなか丈夫にならず、何かと病院のお世話になる。
「国境なき医師団」に参加されている人とか、どこかに赤ひげ先生みたいなお医者さんがいれば好きになるのに!
医者って不思議よね。
患者さんはお客様なのに、そのお客様から「有難うございます。」と言われるんだもんな。
いくら受付で「○○様~!」という敬称を付けられても嘘っぽい。(いつからあんなわざとらしい呼び方をするようになったのだろう?現在、大きな病院では外来でptつまり患者さん(クランケなどとは言わないですね)全てに渡される端末が知らせてくれるらしいが。あれはやめましょう。「さん」付けに戻しましょう!との声もちらほら。)
医者はたいていはふんぞりかえっているのだ。(←かなりの偏見!)
私はあまりそういう医師にあたったことはないのだが、患者さんの顔も見ずにカルテしか見ないで話す人とか?
そんな私のご先祖様は「御典医」だったのだそうだ。
家系図には代々医師ばかり・・・。
イマドキそんなものナンセンスだとは思うのだが???
でも、ま~、こりゃ宿命だわ。
いやだいやだと思いながらも、思えばこの「院」や医療従事者がちかしいところにある環境で暮らしてきたのだなと認めざるを得ない。
あ゛~あ゛。
そんな嘆きと、これから話す「私と医療、その確執」と、「長い長い間、私が抱えてきたトラウマを綴るの巻」の幕開けです。
どうかお付き合い下さいませ。
https://www.google.co.jp/search?rlz=1C1AVNC_enJP570JP586&tbm=isch&q=%E6%8A%B1%E3%81%8D%E9%B7%B9&chips=q:%E6%8A%B1%E3%81%8D+%E9%B7%B9,online_chips:%E5%AE%B6%E7%B4%8B&sa=X&ved=0ahUKEwjn8caQz6XaAhWENJQKHdX3BxwQ4lYIJigA&biw=1366&bih=637&dpr=1
↑ 家紋は抱き鷹/国境なき医師団/祖母のこと
*本文はあくまで個人的な体験から綴った内容であり、医師という職業に従事されている全ての方に向けての誹謗中傷でないことだけはご理解下さいませ。
従いまして、一切ご批判などは受けつけられません。
何卒宜しくお願い申し上げます。
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